2016年3月5日土曜日

学生の時にしたくもないのに奉仕をしたって、ろくな人間にならないと思いますね。

まあ、したくもないのにっていうか、例えば僕の場合はドラムの奉仕がありますけどドラムが嫌っていうよりもサッカーの方がしたいのに、

これが祝福の道
これが御心これが御心御心御心御心

とかいうふうに俺はなってしまうので、そんな風になるなら、やめた方がいいってことです。

こんな教育が御心の道っていう考えを狭めていくので、日曜日の教会にいくっていうのは当たり前のことだしそれが土台でもあるけど、神様を信じてるっての方がもっと大きな土台なので、極端な話をすれば本当に神様を信じて信仰から外れなければなにしたって良いと思います。

日曜日の教会にいかずサッカーにいったから祝福されないんじゃなく、そう思ってることですでに祝福を逃してるとおもうんですよね。

教会にいってる、日曜日だけのクリスチャンと
教会に行ってない、行けない、クリスチャンどちらがいいのかわかりませんが、

神様は、自分にもっと自由に生きてほしいはず。

真理はあなたを自由にするってあるけど、奉仕があなたを自由にするって言ってないからだー!

はっはっはー!

とにかく、おれは小さい頃から
御心=俺の嫌なこと、犠牲、
最善=辛い道
っていう風におもってたから、そこから変わりたいわけですよ。

すでに変わっていってます。

だから、高校は好きなように生きます。
そして、神様が自分を祝福してくれると思います。

奉仕はすばらしいけど、絶対に犠牲感ではしたくないですね。

だから、聖書読む。祈る。ってのは
教会とか奉仕以前の問題ですよね。

だから、おれはこの二つをしないと。

サッカーでいうなら、オーバーヘッドとかスルーパスとかオフサイドとかの以前に
走る。
蹴る。
っていうぐらいの土台だと思います。

ゆうなら、おれはまだ奉仕をするまでのレベルにないってことです。

しかし!

主にあってよしとされた!

IZA

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