2018年1月18日木曜日

一週間経ちました

カナダに来てから一週間が経ちました。

だいぶ慣れてきたけど、まだ英語はほとんどわかりませんね~。

そしてだいぶ疲れてきましたよ、、、トホホ

言葉が違うとこんなにも不便なんですね~。。。


そして、こんなにも違う世界が当たり前のようにあるわけですねー。



別に海外いかないから英語やらんでいいしとか世界が広くても別に日本だけで良いし


何てよく学校で聞く言葉ですけど、本当に当たり前のように違う世界が至るところにあって

その至るところでもその人たちにとっては自分達の場所が普通で自分達のところだけの世界で生きてるんだなー、とおもうと不思議ですね。


ニュースや授業やらでただの情報として世界の事を知ったつもりになるけど、同じ時代に生きてるのに、こんなにも違うんだな~、そして自分達だけの世界だけで生きるのはもったいないと思いますね。

色々の世界や価値観を知った上で、(もちろんただの情報としてではなく)日本という世界で生きると言うのはかっこいいですけどね。


だって、生まれた世界だけしか知らずにいるのは、たまたまこの日本に生まれてこの日本のこの時代のそしてその人の周りの価値観だけしか知らないってことで、その価値観だけが正しく見えるわけですよね。


そして、この日本だけでいいし、私海外になんていかないから。というわけです。

世界70億人ゆっても日本だけで1.2億人、そして実際あってコミュニケーションするのは10万人いくのでしょうか?もっといえば、本当にお互いを知ってのコミュニケーションは、数千人じゃないですか?

自分の持ってる価値観というのは、自分で作り出したのももしかしたらあるかもしれませんけど、基本自分が育った環境や周りに造られた価値観です。

そう考えたら、自分の価値観なんてたったこの時代のこの日本という国のそしてこれまでとこれから出会う数千人の人、そして何より自分の家族と友達によって造られた一つの価値観でしかないわけです。


何か自分だけの世界で知った気になって生きるってのはバカらしいですね。

察っしろよ!みたいな文化の日本で、何でも口で直接伝えると、浮いてしまうし。
海外では逆ですしね。


だってここは日本だもん。だってそれは海外の話だもん。


最もな理屈なんだけど、バカらしいですねこの理屈。

だって場所で正しさが変わるんですよ??

「多様な価値観を認める」ってよく聞きますけど、本心から、心の底から違う価値観を認めることができる人なんていないと僕は思うし、そんな簡単に違う価値観を認めるられるなら、そんな価値はショボいと思います。

死刑には反対です。でも賛成の意見の方の価値観も認めます。。んなバカな。。

人を殺すのには反対なのに人を殺して良いという人には反対しないのかよ、、、、

死刑制度の事に関してはそんな簡単な話じゃないと思うので、まぁこの話はいつかします。

何が言いたいかというと、どんなことに価値を見いだすかは人それぞれだけど、良いとか悪いとか、正義とか悪とか、そういう一番大事な価値が場所で決まって、それを認めるなんておかしな話だと思うし、だから、僕は多様な価値観を認めることは確かに必要ではあるけど、

場所とか時代とか金とかそんなものを越えた絶対に変わらない価値観こそが本当に正しいものだとおもうんですね。

たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。

とイザヤ書にあるんですけど、本当にアーメンです。

どの時代の人にもどの国の人にも、イエス様は十字架で死に復活したわけで、どの時代もどの国も、同じイエス様を賛美してるんだな~と思うと感激ですね。

カナダの学校にはほとんどクリスチャンがいないんですが、、、

まあ、いずれクラスメートが救われるのでね!



2018年1月13日土曜日

カナダです。

今カナダにいますよ~。

英語速すぎ。尋常じゃない。

いや、これが普通なわけですね。

別に外国人はリスニングテストをしてるわけではないのでね。


いやー、ほんとに最高の体験です!

2018年1月6日土曜日

⑤『神の愛』

恋愛と家族の愛について話してきました。

他にも友情愛とか、まー、色々ありますけど、まとめると、「人間愛」ですよね。

この人間愛には限界があります。

愛するというのは見返りを求めるものでもなく、完全に相手のためを思うことです。

そんな人間いません。

だって何がその人のためで何が違うかなんてわかるんですか???

それなのに、自分は完全な愛を受けることを求める。

簡単にいうと、人間は愛せないのに愛されたいと思うってことです。

なんかさー、難しいこと言わないで、単純に好きって思いがあるだけで十分じゃない?

って声が聞こえてきますね~。(笑)

そう思う人はそう生きたら良いと思います。うん、自分で考えていけば良いと思います。

さて、神様は私たちを「愛してる」といいました。

まず神なんているのかってことだけど、それは次回。

神様は一人一人を私が造ったといっています。
俺はお前が大好きなんだ。
俺がお前を造ったんだ。
理由なしにお前がすきなんだ。
そのままで本当に愛してるんだ。

そういってるわけです。
この神様の愛こそが、真ん中を埋める愛なんですね。


しかし、じゃあ、その愛を感じてる人なんているのか?


ほとんどそんな人いませんよね。

身近な人に、私は神様に愛されてる!
何て言う人いますか?

それに愛されてるなら、なんで、こんな苦しいことばかりで、しかもいるんだったら目に見せろってね笑笑



口だけの理論だけやろってね。


しかしそれは罪があるから、なんです。

罪があるから、神様の愛に気づけないのです。

は???

となるけど、まー、次は罪ってなんぞやってことで話したいと思います。


まー、ゆーなれば真ん中の虚しさの原因が罪ですね。





2018年1月4日木曜日

いくらでも満たされる

①②③~で真ん中を満たす愛してくれたの話をしてますけど、いくらでも満たされますからね。

しょっちゅう。

ただ僕がいってるのは、「一時的なもの」ではなく、「変わらないもの」ということです。

変わらずに真ん中を満たしてくれる。

このままの自分を「ずっと変わらずに」愛してくれる存在の話をしてるわけです









④『家族愛』

家族っていうのは、なんか、言うなれば聖域みたいなもので、外がとやかくいうものじゃない。みたいなところがあります。

間違いないですね。

そして家族の形というのもそれぞれで、一概には言えません。そして、言ってしまうと言った側がいけないみたいなところがあります。

でも言いますね。

例えば、離婚というのは、それだけでは良いとか悪いとか判断しかねることです。
でも、今は三人に一人が離婚してます。少し多すぎませんか。

簡単にくっついたり離れたりできるものではないと思います。なぜなら、結婚するというのは新しい命が生まれること、そして、体だけじゃなくて心も相手の人と言葉の通り「一心」同体になるからです。

まあ、この話はこのへんで。。。

今では普通の一般家庭という体で話をすることができない気がしたので何とも難しいところですが、、、、

さて、今は真ん中を埋める愛というテーマで話を進めていました。


どんな家庭であろうと、あなたが生まれたとき、お母さんはその誕生を喜んだはずです。
そしてあなたのことを愛していたはずです。

そして普通は、あなたが赤ちゃんの時、夜泣きをしても、色々手間がかかっても、すごく大切に育ててくれたはずです。

でもなんでですかね?

赤ちゃんてのはなんか清い存在的な価値観がありますが、そういう観念を取っ払うと、迷惑しかかけない存在ですよね?

一体なんか利益をもたらす存在ですか?
赤ちゃんを大事にしたからって、何か得ることができますか?

できません。

でも、大切にしてくれました。

何にもできない、そのままの自分を「よしよし」と言って愛してくれた。

これこそが、無条件の愛だと思います。

では今現在はどうですか?

よく若い人たちに「あなた方は希望です」とか聞くけど、赤ちゃんに希望があるなら、なぜ大人にないんですかね?子供もいずれは大人になって希望はどこに消えていくんですかね。


それと同じように今現在は、家族仲がよくない家庭が多い気がします。良いときも悪いときも共に過ごすから意味があると思うのですが、もはやそういう次元ではない家庭がある気がします。
理由はそれぞれだと思うし、俺が首を突っ込むことでもありません。

でも確かにそうです。

そして、先述したように、家族の愛を受けてこれなかった人もいるわけです。

家族の愛は素晴らしいものだけど、もし本当に無条件の愛なら、一体なぜこういうことがおきるのですか?

そして、受けてこれなかった人はどうなるんですか?

だから僕はこう思います。
家族愛で満たされないからこそ、真ん中がぽっかり空いてるんだと。
そして家族愛で満たされないと恋愛に走るんだと。
これは完璧な主観です。。(笑)


だから、家族愛で、真ん中が満たされてるひとは、本当に素晴らしいことだと思ってください。


久しぶり

すいません、最近全然あげてませんでした。

多忙だったんです。

ま、あげようと思えばできたけど。


宿題やらチャペルの準備やら大変だったんです。

ま、あげようと思えばできたけど。




ってことで、サボってただけです。すいません。。

③『恋愛』

こんにちは、『宗教なんて大っ嫌い』が①で『漠然とした虚しさ』が②です。

早速続きから話しますが、心の真ん中にぽっかりとした虚しさがある人がいると思います。

できる限りそういうことは考えたくないし、もうそういうこと考えずに、目の前の幸せを感じよう。

この考えもチョー納得。

でもそれだと、その虚しさから逃げられない状況になったとき、術がありません。

答えなんてないんだ。という考えもあります。

でも、その虚しさに対する答えが無いなんて、誰が決めたんですかね?そして、聖書には答えがはっきりと明記されています。それは神の愛を知ることです。
たしかに戦争を起こしてるのはキリスト信者です。
でもキリストや聖書はそのように教えていません。

でもまだ聖書そのものの話をされても納得いかないですよね。神の愛とか、何いってんだ。と思いますよね(笑)

だから、まずは人の愛を考えてみましょう。
まずは恋愛から。


高校生って、恋愛しますよね~。

ま、僕にも片想いの好きな人はいるけど、、(笑)

いやいや、そんなことより、恋愛こそが真ん中の虚しさを埋めてくれる。これこそがいきる意味の本当の答えだと。そうだと思いますか?
だとしたら、質問です。

その好きな人のどこが好きなんでしょうか。

理由なんてない、その人がその人だから好き。
と、思いたいですが、必ず理由があります。

理由もなしに人を好きにならないからです。

そこは、もうそういうものだから、ここは強引に話を進めます。

理由をもって好きになるということは、その存在すべてをそれだけで受け入れてることにはなりません。

残酷な話だけど、どれだけ好きでも、相手の全てを受け入れることなんてできないんですね。

それは、相手が悪いからではなくて、自分にその度量がないということです。


恋愛なんか特にそうです。まー、恋愛とひとくくりにしても、それぞれですが、要は異性間での恋のことですよね。

異性間での恋といえば、少しでも色気を出して誘ってみたり、かわいい声を出してみたり、髪型決めて、着こなして、男前のところ見せたり、まーそういうのに惹かれたりしますよね。
うん、僕だってそうです。

もちろんそれだけが恋愛じゃないけど、そういう一面がかなり強いでしょ?

悲しい話をすれば、『ブスでデブでチビで不潔で、でもものすごく優しい理解者』に恋をしますか?

するんだったら本物。しないんだったら、多少は外見に左右されてるってことです。

それこそ、『~だから好き』っていう条件付きですよね。

どんな人間にも、無条件で人を愛する力はないんですね。もちろん僕もです。

にも関わらず、無条件で愛されたいと思う。
自分の存在をそれだけで受け入れてほしいって誰しも思うはずです。


んー、困ったものだ。。。


おっと、家族はどうでしょう。

家族は別に外見がどうとかで、嫌いますか?
いーや、普通は親は子供をそれだけで愛するものです。

次は家族愛を考えてみましょう。