2016年3月7日月曜日

学校で神のことを語る恥ずかしさ

先日学校の同級生に修道院の女の子がいるとブログで言いましたが、

今日もそいつと話しました。

カトリックはマリアさまのようにと清さを求めますが、

清いって何を基に清いのかとか色々話しました。

でも、見るからに相手の面倒臭そうな顔といったら、、!

神のことを一緒に話してて何でそんな顔をするのか、俺自身も相手を傷つけないように意識してたのに、なぜそんな顔をするのかと思いました。

んで、聞いてみたところ、

話すことは別に良いけど、学校で話すのが恥ずかしいってのことでした。

学校の奴らに、カトリックで十字を切ってアーメン。とかミサにでてるとかが、知られたくないのか何なのか、神のことを俺が色々話すから周りにそれが聞こえるのが嫌なのか、とにかく学校で神のことをあんまり話したくないそうです。

でもそれ少しわかったりもします。

部活を休むときに教会にいくからとかゆう理由で休むのも、そのときの周りの目とか嫌だったし、宗教的な用語を使われるのも、思われるのも、かなり嫌でした。

でも、まぁ、それは結局宗教っていうのは本質的な大事なのを除いて、儀式とか習わしとか外側や外見をみて、その違いで争いが起きたりするわけで、そんなのがあるから或いは恥ずかしさを覚えたりするわけですよね。

周りと違うから。

自分が信じてるものに自信がないとゆうか、確信がないとゆうか、恥ずかしさを覚えるのには、少なくともこちら側に問題があると思うんですよ。

まぁ、俺自身が恥ずかしさというか、少し隠したりしてしまうのはすごくダメなことだとおもいます。

何度もいっていますが、もっとクリスチャンというのは、自由なはずです。

色々な規律に縛られてあれもダメこれもダメ他を否定する排他的な考えになり、

認められるために、愛されるために、祝福されるために神を恐れ仕える。

こんな神なんていりませんよ。

てか、こんな神は糞野郎ですよ。

俺が信じてる神はこのままの俺を認めて愛して祝福してくださる!!

そして、強い人間になるために支えて共に歩いてくれる!!

なーーーはっはっはっはっ!!

ってことでおわりにします

IZA

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