どーも。おまっちです。
どーもね。
喜びが止まりませんね。
昨日もブログにあげましたが、
神様に人生の祝福を約束されまして
歩いてたら、にやけたり、泣いたり、
聖書1日70ページ。
始めたら、いついかなる時にも神とのまじわりという感じです。
この証しをパトモスの時も最初に証ししたビーちゃんに今日したんですが
やっぱり証しすることは、自分にとってもホントに祝福で、
証ししたらさらに喜びが止まらないっす!
ビーちゃんは「喜び」という名前の通り、誰かの証しを聞いて喜びを分かち合うときにさらに喜びが増幅するという賜物がありますね!
ビーちゃんの将来の旦那さんは幸せですな笑
さて、ここ3日、神様と会話を始めて改めて思ったのは、
神は生きた存在、だということです。
聖書を読んでるとただの文章ではなくて、ホントに神が僕に話していて、
こっちが祈って話しかけると、
答えるのです。
そして、
神はただ機械的に働くのではなく、
ただ法則に縛られて働くのでもなく
話の通じない頑固オヤジでもなく
部下に耳を傾けない上司でもなく
会話の出来る生きた存在であり、
怒りも喜びもする感情がある友であり、
息子の弱音を聞いて励まし、力づける父であり、
しもべの願いがあれば交渉に応じてくださる主人である
こんなの、尊敬する兄、えんちゃんには「当たり前のことば何言いよっとや!」と言われそうですが。笑
み心というのは一方的に神から押し付けられるように思いがちだけど、
神は生きた存在だから、神と話し合える。
自分の願いがあるなら神に差し出して交渉も出来る。
神が生きている
そんな当たり前のことが、
ありありと
感じはじめた今日この頃です。
おまっち
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