2015年4月4日土曜日

許された「命」与えられた「人権」

2年の夏休みの宿題の人権作文です。




許された「命」与えられた「人権」

辞書には、人権は人が生まれながらに持つ権利だと書いてあります。例えば生きる権利差別されない権利などでしょうか。
しかし、僕はこれにさえ疑問を持ちます。人は「権利」とか「義務」によって生きているのでしょうか。
僕は何らかの大きな力のもとに生まれ、生きることを許されているように感じます。
何が言いたいかというと、「権利」とか「義務」で命のことを考えるから今度は逆にそれを奪う「権利」や「義務」を考えることになるのですが、そもそもそんな「権利」も「義務」もあるわけはないのです。

言葉では表現できないような大きな力のもとで、僕らが許されて生かされているとするなら、それを勝手に自分でそれを終わらせたり、または他のものの命を勝手に奪うことも許されるわけはありません。
では、その大きな力とはなんでしょうか。宇宙に生命が誕生できる確率というのがあります。その確率は宇宙が生まれた瞬間で10000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000分の1(10の250条分の1)で、無量大数分の1以下にあたりその上時間が経てば経つほど、その確率は低くなっていきます。偶然でしょうか。僕は偶然とは思いません。何か大きな力からだと思います。
その大きな力とは、神様です。
神様というと日本ではすぐに八百万の神と考えますが、そうではなく、真実の「神様」です。神様というのは日本では肯定し難い存在ですがそうではありません。全て神様によってでないと説明できないものだらけです。

「この」神様によって誕生した奇跡の命があなたであり私です。その命を奪う「権利」とはいったい何なのでしょう。
ですから、神様が全てを創ったのですから全ての権力は神様にあるはずです。よって人が生まれながらに、すでに、「持っている」権利など何もないのです。生きる権利も殺す権利も全てです。
ただ、神様が生きることを『許され』ました。ということは生きる権利を『与えられた』のです。しかし、殺す権利は与えられていません。ひとは「権利」や「義務」によってではなく、「許されて」今この地上にいます。


ちゃんちゃん。

とまあ、こんな感じ。

IZA

PS
推敲
山口さん。

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