2018年2月25日日曜日

確信を伝える

3/31にコンサートすることになりました。

僕が企画させてもらうことになりました。

たくさんの友達を誘っているんですが、来てくれそうです。


まだなにも決まってなくて、決まりそうもなくて、早くも焦りが出て来ましたが、全体的な方向性としては前から決まってるんですよね。

まず、イエス様のことをはっきり主と告白するということです。

何かと人に受け入れてもらうために、ぼやかしてキリストを伝えているように感じることがありますが、それは一切やめてもらいます。

「人のために愛を届けるコンサート」なんてものは、世に腐るほどあるのでそんなこともしません。

ただ僕たちはイエス様の愛に出会って本当に嬉しい、これを知ってほしい。そういうスタンスで、キリストに感謝する意思表示をみんなの前でする。みたいなコンサートにしたいです。

「あなたは愛されている」と伝えるというより、「キリストの愛に出会えて私は本当に嬉しい」ということを伝える、と表現すればいいですかね。(そしてこの愛であなたは愛されていると伝たい。)

何が言いたいかというと、イエス様にたいする確信と愛を告白すること。人のためにではなく、主のためにコンサートをするということです。

だから、証もしてもらいます。

ただし、ごり押しでキリストを信じろ~!!!うぉー!!

みたいなこともしたくはないです。

なぜならそれをしたところで救われないからです。

熱意と根性で救われるならどれだけ楽でしょうかね。

だから、ここにしか救いはない、これを信じろ!!!!

というのは、まぁ、真実なんですが、そういう面を強調したくもありません。

繰り返しになりますが、「僕はキリストに出会えて本当によかった。」というのを歌にのせて神様に感謝するコンサート。そして、この喜びを知って受け入れてほしい。と伝える。

みたいな風にしたいです。

世の中にはキリスト教より論理立った哲学が山ほどありますし、キリスト教はよく理解できないことが確かにあります。

しかし、高校生たちを見てて思うのは、確信というものが無いなぁということです。

信じれるものがない。軸がない。

だから、信じるのも軸も自分自身だと言い始めるんですね。

この「確信」というのを伝えたい。

だからこそ、変に伝えよう伝えようとするのではなく、イエス様に心ら賛美している姿を見て、その確信を見てもらうのが、伝道になるのかなぁ。と思うわけです。

伝えることに比重をおくのではなく、神様にたいする心からの賛美に比重をおくということですね。

いやー、ど偉いこといったけど、なかなかぼくもボケーとしながらドラム叩いてるんですがね。

あと、まだプログラムなにも決まってないんですけどね。笑

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