罪とかいうと、いかにも宗教臭漂う感じしますよね。
罪を許してくださる神に感謝アーメン。
なんてね。
罪、、、、は???
というのが高校生たちの正直な感想ではないでしょうか。
と、同時に人って結構どうしようないぐらい汚いところがあるんだな。
なんてこともそろそろ感じる人も増えてくるんじゃないですかね。
聖書が言う罪というのは、法的な罪ではもちろんありません。怒りや嫉妬等が罪ですね。
もっというと、罪と言うのは聖書の原語では、ハマルチアといって、的はずれと言う意味です。
的がずれてるということです。
日本で罪と言うと、その人が悪人かのように思われますが、そういって責めたいのではなく、
むしろ、必死に真面目に生きて生きてそうしているのに、いつも満たされないところがあって、それは、「的」がずれてるからだ。というわけなんですね。
それもそのはずですよね。そもそもなんで生まれたのかすらわからないし、その上人が生きる意味は自分で見つけ出さないといけないというね。
まさしくこれが罪なわけです。
人は神によって作られ神のために生きる。神のために生きると言うのは、神のために自爆テロをしろと言うのとはまっったく違います。
神様は僕のことを愛しているからです。
とまあ、神を否定しその存在を意識すらせず、信じないこと。これが罪だと言うわけです。
神様のことを思うと言うよりも、自分のことは自分で決める。自噴の将来自分で決める。のように、すべて自分で決めて自分でやって、自分を神にしているわけです。
これが、自己中心といって罪の元凶みたいなもんですよね。
これが罪なわけです。
だから、神様が僕たちを愛してくれていても、僕たちがそれを拒んでるような感じになってるわけです。
罪を犯さなければ神様のところ、天国に行けます。神様は僕たちのことを愛してはいるけど、同時に正義の方だから、悪のままで天には入れませんよね。
言いたいのはそういうことです。
と、いうことで、全人類地獄行きなんですね。
神様はそれでも僕たちを愛してくれてます。
さてどうしよう、ということで、十字架があるのです。
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