2017年11月30日木曜日

『漠然とした虚しさ』

生きる意味が見つかればいい。

前回こんなことを言いました。

それがキリストでも仏陀でも、金でも、正直なんでもいいから、ほんとにこれが生きる意味だって、自信もって迷わずに言えるものが必要じゃないですか?

どーでもいいいって思う人もいるかもしれないし、何よりそんな答えなんてない。そう思う人もいるかも知れません。

哲学的なことを話すと、ひとりだけクラスで浮いてしまうし、おかしなやつだと思われるのがオチだけど、でもみんな心のなかでそんなこと考えてませんか?

ぼんやりと、何で生きてるんだろうなって。
そう思わない人はいないと思います。

何よりそれを証明してるのがあります。


それは高校生のみんなは、男子も女子も、友達と他愛もない事をして笑うのが好きです。

友達だとか、彼氏彼女とかで楽しいことをするのが好きですよね?

でも、自分に当てはめて考えてほしいんだけど、確かにそれ自体は楽しいんだけど、何か心のさらに奥の心の部分に、真ん中の心の部分にぽっかりした穴がないですかね??

これは、質問です。ない人は別にそれでいいです。ほとんどの人はあると思う。

そのぽっかりしたものがよくわかんないけどあって、それを埋めたくて色々しても、やっぱり埋まらない。

家族とか友達とか彼氏彼女とか、人間関係上手くいかない時もあるし、上手くいっても、何て言うか上手く言えないけど、ふとしたときに漠然とした、むなしさがやってこないですか??

これは上手く言えないです。分かる人は分かると思う。

それこそが生きる意味とか目的がわからずに探してるからだと思うんですよね。

ぽっかりしたもの。そこは必ず埋まるはずだと信じたいけど、あてもない。

聖書はれを埋めるのは愛だといってる。
神の愛だと。

はっ。笑わせるな!

と思うだろうから、今は話しません。

恋愛の愛。家族の愛。要は人間の愛だって、素晴らしいものだし、信じたい。

だから、その事を次から話します。

生きる意味さえわかればいい。
ぽっかりしたものさえ埋まればいい。
それを埋めるのが愛だから。
だから、愛を次から話します。


木原イザヤ





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