2018年4月12日木曜日

誕生

まだ何も知らない君へ

生まれてきてくれてありがとう

君を必要としている人がいる

君を待っている人がいる

目的があって与えられた命

必要ない人なんていないんだ

何も知らない君の瞳は

悲しいほど純粋だね

何も知らない君から教わったこと




個人的に好きな詩なんですが、神を感じないですね。少しヒューマニズムを感じるので、個人的に没ですが、載せときます。

ひまわり


真夏に咲く一輪のひまわり
君はどこから来たの どこへいくの
そんなにまっすぐ どこを見つめてるの


青い海を君は知らない
白い雪を君は知らない
ただ黙って上を見上げてるだけ

何も知らないはずなのに
何だか僕が何も知らない気分に
なるのは どうしてだろう




高校で最初に書いた詞ですね。
知ってるようで何も知らない人間
知らないようで核心を知っている花
みたいなものを意識しました。

2018年4月7日土曜日

詩をあげてみましょう

暇潰しに詩をたくさん書いていた時期があるのですが、あげてみます。

恥を忍んでです。

決して、あげたいわけではありません!( ̄^ ̄)


たくさん有るので、これで毎日(忘れてなければ)ブログを書くことができますしね!笑

まー、17の若者がほざいとるわ見たいな、軽い感じで読んでください!


若い人には真剣に読んでみて欲しいです!

↓の続き

大切なこと良い忘れてました。


甘やかすことで他人に厳しく自分に甘くなり、その事にすら気づかなくなるということでしたが、

その上でキリストを知っているので、罪の赦しやノンクリに対して見下したり対抗心を燃やしたり、しかし自分自身の問題に、気づけない。

自分に甘かったら行動が伴わないしね。
自分の弱さは聖霊がおおうのはアーメンですけど、
だったら、他人を必要以上に責めるのはもはや罪ですよね。


一番言いたいのは、

自分に厳しくない人の言葉はむなしく聞こえる。

ということです。

何もひびかない。

聖霊が働けば良いとはいうけど、はっきりいって開き直れと言われているような気がしますね。


まずもって、自分が聖霊に満たされる必要があって、語る前に自分が神の前にどう生きるかだと思いますしね。

何より、イエス様がこんな生きざまだったとは思えないんですよ。

30歳まで語らず、ましてや自分に甘かったとは思えない。忠実に働いたとあるけど、僕からしたら忠実さには努力が必要だと思いますし、もちろん神の助けあってこそですけど、始めから頑張る気がなかったら、僕は宿題せずにこたつに寝転がって、主よ!宿題を終わらせてください。と祈りますね。

とまあ、こんな具合に自分に甘くしてしまうので、厳しくする「意識」は多少なりとも必要だと思います。

甘やかす

甘やかすって本当に恐ろしいですね。

後になって変わろうとしても、なかなか変わりませんしね。


自分にとことん甘い僕ですが、恐ろしいほどその事をいま痛感してるので、厳しくしたいと思ってます。


少なくとも他人に福音を話しておきながら、そして厳しくしておきながら、自分のことには目をつむるなんてのは御免被りたいですね。一番最悪は、その事にすら気づかなくなることですね。

僕の場合厳しくするってのは、忠実と忍耐これにつきますね。

具体的にいえば 
宿題、キレない、落ち着き、、あと守るべき常識を守る。

伝道してる身なのでね。

お、いまかっこいいこといった。

2018年4月2日月曜日

若い男のクリスチャン

若い男のクリスチャンにとって、悩みの種は、女性でしょうね。

あ、いやいや、女性が悪いのではなく、男の情欲が悪いのです。

「男」といって一くくりにして責任所在地を多数にすることで、自分自身の一個人としての責任をぼやかしたり、個人のこととして考えることから逃げることは僕としてはよくあることなので、男という呼び方をやめます。僕じしんの問題ですね。

僕の今の一番の問題は性欲なんですねー。



おっと、こういうことを話すのは、キリスト界隈ではタブーとか世間では痴漢だと言われるかもしれませんし、何よりも俺の人格を疑われて、女性なんかは特に近づくのも嫌になるかもしれませんが、、しかしですねー、、どれだけ体裁を繕っても、人の心って汚れてるんだなって思うのです。

僕の心は薄汚れているのです。いや、濃ゆ汚れているのです。(こんな言葉はありませんが)だからといって、堂々とおれは情欲をもってるー!なんて大声でいうことでもないのですが、、、、しかしはっきり話したいなと思うので話しますね。



僕は言葉を話し出したらきりがない。周りの人は僕をメッセンジャーとして誉めたり尊敬してくれたりする人もいますが、、誰が本当に主の前に正しいかなんて、神しかわからないですよね。

若いうちにメッセージに慣れるのは、危険な側面もありますしね。人に話すことばかり慣れると、自分を教えなくなるんですよね。


話それましたけど、僕のこの性欲の話です。

きっと男にとっては大きい問題だと思います。

世の中ではかわいいとか性行為をしたいとか、そういう衝動を好きとか愛とかいう言葉で表現しますが、こんなの愛ではありませんよね。女性を汚してしまう単なる自分の汚れた欲望です。

無論、世の中にもしっかりこの欲望と愛というものの区別をしている人はいると思いますが。


僕は人にイエスキリストのことを伝えていながら、イエスキリストが僕に伝えてくれたことを何も実行していない。

罪の赦しは、わかります。

でも、だからといって罪をおかすわけにもいきません。

しかし、この欲望というのは、どうしようもないんです。

それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。



聖さが僕には必要だし、それこそ聖霊が、必要なんだと思います。聖なる方というのは、汚れの無い方という捉え方もできますしね。



だけど問題は、これだけ頭でわかっても、なんだか心の底から聖霊を求める気がしないのです。

そりゃ、聖霊に満たされたいけど、そのことよりも好きな人のことで頭がいっぱいになったり、違うことで頭がいっぱいになるのです。


なんだか、もはや自分の意思で、聖霊を求めることすらできないのかな、と感じます。

正直にいうと、今の罪の快楽(それは情欲を抱くことに限らずですが)から離れるのが嫌なのです。

どれだけ神に近づきたいと思っても、罪から離れたくない思いが圧倒的に勝ってしまう。

自分の意思は、神を愛してもいないし、罪をわかったところで変わりたいとも思わない。

だから、あわれんでくださいと祈るしか、僕にはないんです。

若いときのエネルギーとか勢いなどで解決できるものでもないですし、ただ聖書読んで、あわれんでくださいと祈るしかないと思います。

明日から再開

明日から学校が始まります。

チャペルはもう終わりにするつもりだったんですが、続けるように語られましたので、するしかないですね。

自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。


という箇所ですね。

自分自身にも、よく気を付けない。ということですね。