2018年4月7日土曜日

↓の続き

大切なこと良い忘れてました。


甘やかすことで他人に厳しく自分に甘くなり、その事にすら気づかなくなるということでしたが、

その上でキリストを知っているので、罪の赦しやノンクリに対して見下したり対抗心を燃やしたり、しかし自分自身の問題に、気づけない。

自分に甘かったら行動が伴わないしね。
自分の弱さは聖霊がおおうのはアーメンですけど、
だったら、他人を必要以上に責めるのはもはや罪ですよね。


一番言いたいのは、

自分に厳しくない人の言葉はむなしく聞こえる。

ということです。

何もひびかない。

聖霊が働けば良いとはいうけど、はっきりいって開き直れと言われているような気がしますね。


まずもって、自分が聖霊に満たされる必要があって、語る前に自分が神の前にどう生きるかだと思いますしね。

何より、イエス様がこんな生きざまだったとは思えないんですよ。

30歳まで語らず、ましてや自分に甘かったとは思えない。忠実に働いたとあるけど、僕からしたら忠実さには努力が必要だと思いますし、もちろん神の助けあってこそですけど、始めから頑張る気がなかったら、僕は宿題せずにこたつに寝転がって、主よ!宿題を終わらせてください。と祈りますね。

とまあ、こんな具合に自分に甘くしてしまうので、厳しくする「意識」は多少なりとも必要だと思います。

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