恋愛と家族の愛について話してきました。
他にも友情愛とか、まー、色々ありますけど、まとめると、「人間愛」ですよね。
この人間愛には限界があります。
愛するというのは見返りを求めるものでもなく、完全に相手のためを思うことです。
そんな人間いません。
だって何がその人のためで何が違うかなんてわかるんですか???
それなのに、自分は完全な愛を受けることを求める。
簡単にいうと、人間は愛せないのに愛されたいと思うってことです。
なんかさー、難しいこと言わないで、単純に好きって思いがあるだけで十分じゃない?
って声が聞こえてきますね~。(笑)
そう思う人はそう生きたら良いと思います。うん、自分で考えていけば良いと思います。
さて、神様は私たちを「愛してる」といいました。
まず神なんているのかってことだけど、それは次回。
神様は一人一人を私が造ったといっています。
俺はお前が大好きなんだ。
俺がお前を造ったんだ。
理由なしにお前がすきなんだ。
そのままで本当に愛してるんだ。
そういってるわけです。
この神様の愛こそが、真ん中を埋める愛なんですね。
しかし、じゃあ、その愛を感じてる人なんているのか?
ほとんどそんな人いませんよね。
身近な人に、私は神様に愛されてる!
何て言う人いますか?
それに愛されてるなら、なんで、こんな苦しいことばかりで、しかもいるんだったら目に見せろってね笑笑
口だけの理論だけやろってね。
しかしそれは罪があるから、なんです。
罪があるから、神様の愛に気づけないのです。
は???
となるけど、まー、次は罪ってなんぞやってことで話したいと思います。
まー、ゆーなれば真ん中の虚しさの原因が罪ですね。
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