2018年1月6日土曜日

⑤『神の愛』

恋愛と家族の愛について話してきました。

他にも友情愛とか、まー、色々ありますけど、まとめると、「人間愛」ですよね。

この人間愛には限界があります。

愛するというのは見返りを求めるものでもなく、完全に相手のためを思うことです。

そんな人間いません。

だって何がその人のためで何が違うかなんてわかるんですか???

それなのに、自分は完全な愛を受けることを求める。

簡単にいうと、人間は愛せないのに愛されたいと思うってことです。

なんかさー、難しいこと言わないで、単純に好きって思いがあるだけで十分じゃない?

って声が聞こえてきますね~。(笑)

そう思う人はそう生きたら良いと思います。うん、自分で考えていけば良いと思います。

さて、神様は私たちを「愛してる」といいました。

まず神なんているのかってことだけど、それは次回。

神様は一人一人を私が造ったといっています。
俺はお前が大好きなんだ。
俺がお前を造ったんだ。
理由なしにお前がすきなんだ。
そのままで本当に愛してるんだ。

そういってるわけです。
この神様の愛こそが、真ん中を埋める愛なんですね。


しかし、じゃあ、その愛を感じてる人なんているのか?


ほとんどそんな人いませんよね。

身近な人に、私は神様に愛されてる!
何て言う人いますか?

それに愛されてるなら、なんで、こんな苦しいことばかりで、しかもいるんだったら目に見せろってね笑笑



口だけの理論だけやろってね。


しかしそれは罪があるから、なんです。

罪があるから、神様の愛に気づけないのです。

は???

となるけど、まー、次は罪ってなんぞやってことで話したいと思います。


まー、ゆーなれば真ん中の虚しさの原因が罪ですね。





0 件のコメント:

コメントを投稿